大判例

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東京地方裁判所 昭和32年(行)84号 判決

原告 松岡克己 外一名

被告 国

訴訟代理人 越智伝 外一名

主文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は「原告等が日本の国籍を有することを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、

一、原告等の実母松岡和子はもと朝鮮人呉大益と日本人同キヌコ間の二女として出生し、朝鮮戸籍にあつて呉和子と称していた者である。

二、松岡和子は昭知十九年冬頃日本人小林達吾と内縁の夫婦となり、同二十年十一月十八日原告克己を、また同二十三年七月十日原告達郎をそれぞれ出生したが、戸籍上は内地人松岡米七、同ハルヱの子として届出内地戸籍に記載された。

三、その後松岡和子は昭和二十三年十月二十日右松岡夫婦との間に養子縁組をなし内地人たる身分を取得して内地戸籍に記載されたが、同年十二月二日和子は原告等と養子緑組をなし、名古屋市中村区元中村町二丁目二番地を本籍として親子三名の新戸籍が編成された。

四、ところで松岡和子は原告等と実親子の間にありながら戸籍上養親子関係に記載されているのでこれを訂正すべく、昭和三十一年原告等と松岡夫婦との間の親子関係不存在確認及び松岡和子と原告等間の養子縁組無効確認の審判を東京家庭裁判所に申立て、昭和三十二年二月二十三日その旨の各裁判の確定によつて原告等が松岡夫婦の実子である旨の記載及び和子と原告等の養子縁組成立の記載をいずれも抹消した上、同三十二年七月東京都中央区長に先ず原告克己を実子として出生届をなしたところ原告克己が日本国籍を有しないとの理由でこれが受理を拒絶された。すなわち、被告は原告等が日本国籍を有することを争つている。しかしながら原告等は内地人を父とし、母も亦昭和二十三年十月から内地人たる身分を取得したものであり、昭和二十一年二月からは父母とともに内地に居住しているものであるから日本国籍を有するものというべきである。

五、よつて原告等が日本国籍を有することの確認を求める。

と述べ、

被告指定代理人は主文同旨の判決を求め答弁として、

請求の原因第一項の事実中松岡和子が朝鮮人呉大益、同キヌコの二女として戸籍簿に記載されていたことは認めるがその余の事実は不知

同第二項中原告等がそれぞれ松岡米七、同ハルヱの長男及び次男として戸籍簿に記載されていたことは認めるがその余の事実は不知

同第三項の事実は認める。

同第四項の事実中、原告等主張のような家庭裁判所の審判があり、戸籍の訂正がなされたこと及び東京都中央区長に対し原告克己の出生届をしたが、受理されなかつたことは認めるがその余の事実は不知

と述べ、被告の主張として次のとおり述べた。

一、原告等の父が日本人であるとしても、直ちに原告等は日本国籍を取得しない。

原告等は日本人小林達吾を父とし、松岡和子(朝鮮人男呉太益と日本人女同キヌ子の二女)を母とする婚姻外の子であると主張するけれども、右小林は、原告等をその子として未だ認知してはおらない。そこで、認知の効果として生ずる右小林と原告等の間の婚外父子関係は未だ法律上発生してないのである。

ところが、わが国籍法第二条第一号が非嫡出子についても父系主義による生来の国籍の取得を認めているのは、子の出生の時に父子関係が法律上存在していることを要件とするものと解すべきであるから、嫡出でない子が出生により父にしたがつて日本国籍を取得する場合は、日本国民たる父が胎児認知をしたとき、または子の出生と同時にこれを認知したときにかぎられることになるにも拘らず、原告等は、胎児認知も、また出生と同時に認知もせられず今日にいたつているのであるから、父に従つて日本国籍を取得することはありえないのみならず、かりに、今後父より認知せられたとしても、現行国籍法は旧法のように認知をもつて国籍取得原因としないのであるから(旧国籍法第五条三号)、現行国籍法第二条第三号または第四号に該当しない限り日本国籍を取得するに由なく、原告等が国籍を取得しようとすれば帰化の方法による外ないのである。(平賀健太著国籍法下二一七頁参照)

二、原告等はいわゆる朝鮮人であり、その母が現に日本国籍を有していても原告等は当然日本国籍を取得しない。

(一)いわゆる朝鮮人は、平和条約の効力発生の日に日本の国籍を喪失している。

日本国は平和条約第二条a項により朝鮮の独立を承認したのであるが、同条約は朝鮮の国籍を取得すべき者の範囲について明文の規定を設けていない。

しかし右条項に「朝鮮の独立を承認し」とあるのは、かつて存在した独立国であつた朝鮮が独立を回復することを承認するという趣旨であり、これに応じて国籍の変更についても、現に日本の国籍をもつている朝鮮人は、その居住地がどこにあるかを問わないで、すべて、その父祖または自分が日本と朝鮮の合併当時にもつていた朝鮮の国籍を独立の回復と同時に回復するものと解すべきであるので、いわゆる朝鮮人は平和条約の発効と同時に日本の国籍を喪失したものである。

(二)平和条約の発効によつて日本国籍を喪失するいわゆる朝鮮人とは平知条約の発効時まで、朝鮮の戸籍に登載されていた者或は登載されるべきであつた者をいう。

平和条約発効まで朝鮮には戸籍法の適用はなく朝鮮戸籍令(大正一一年総督府令第一五四号)があり、内地戸籍との連絡については、共通法によつて規律せられていた。従つて、従来等しく日本国籍を有するとはいつても、内地人、朝鮮人の区別があり、朝鮮人は、朝鮮に本籍地をもち、内地に転籍することは許されなかつたものである。

(三)原告等は右にいう朝鮮人であつて、旧韓国法制においても旧韓国の国籍を取得すべきものである。

原告等は、朝鮮人呉和子(父朝鮮人呉太益母内地人同キヌコの二女として大正十四年二月二十日生朝鮮に本籍を有した)の婚姻外の子として、昭和二十年十一月十八日(原告克己)及び昭和二十三年七月十日(原告達郎)に夫々出生したものであり出生当時においては母の本籍たる朝鮮戸籍に入籍すべきものであつた。しかるに訴状記載の如き事由により内地人松岡米七同ハルヱ夫妻の子として内地の戸籍に入籍していたのが親子関係不存在確認の裁判確定により右戸籍の記載は現に消除されている。

併合前の旧韓国には国籍法はなく、民籍に入ることが国籍取得であつたから、明治四十三年の日韓併合当時、韓国国籍を有していた者は併合前の民籍法の適用を受ける者で、既に民籍に登載され又はこれに登載さるべき者の範囲に一致していたのである。そしてこれらの者及びその子孫は併合後も民籍に登載され、又は登載さるべき者とせられ、民籍法の後身たる朝鮮戸籍令施行後においても、帰化又は婚姻、縁組、認知等の身分変動によつて外国籍を取得したが、内地籍に入つた者以外は依然として朝鮮戸籍にある者又はあるべき者として存続してきたのである。

しかして、民籍事務の取扱について私生子は母の民籍に登録することとなつており、原告等はかつて朝鮮戸籍に登載されたことはなかつたけれど、朝鮮民籍に登載さるべき者であり、従つて旧韓国国籍を保有すべきものである。

(四)原告等の母和子が現に日本国籍を有しているからといつて原告等の国籍に影響はない。

原告等の母和子が日本国籍を保有しているのは、昭和二十三年十月二十一日受付による内地人松岡米七、同ハルヱ夫婦との養子縁組によるものであつて、当時の国籍法においては日本人の養子となることは国籍取得の原因となつている。

(旧国籍法第五条四号)

よつて、原告等の母和子については平和条約発効後も日本国籍を有することには変りなく、また一九四八年五月二十一日「南朝鮮過渡政府」による「国籍に関する臨時条例」第五条においても「外国の国籍又は日本の戸籍を取得した者であつて、その国籍を抛棄するか又は日本の戸籍を離脱する者は、擅紀四二七八年(昭和二十年)八月九日以前に朝鮮の国籍を回復したものとみなす」と規定し、日本の戸籍法の適用を受くべき者については、朝鮮の国籍を与えていないのである。

これに反して原告等は前記の如く松岡米七夫婦の実子である旨の戸籍記載も消除され、また原告等が右和子の養子である旨の戸籍記載も消除されているのであるから、原告等の母和子が原告等の出生届をしても原告等はいずれも母和子が朝鮮の戸籍を保有している時代に出生したもので当時においては松岡和子は朝鮮人でありその私生子たる原告等は日本国籍(内地戸籍)を取得することはできない筋合となる。よつて原告等の母和子が養子縁組により内地人となつたからといつて、新たな国籍変動の事由が生じないかぎり、原告等の生来取得した国籍には何等影響はないのである。

立証〈省略〉

理由

講和条約発効前、朝鮮人(朝鮮に本籍を有する者)は広い意味の日本人すなわち日本国籍を有する者であつたが、ひとしく日本人といつても内地人(内地に本籍を有する者)とは明らかに区別されており、婚姻、離婚、縁組、離縁、認知等の身分行為による場合を除いては本籍を他の地域に移す自由を認められていなかつたのである(すなわち、ひとしく日本人といつても種族的ないし民族的に区別されていたのである。)そして朝鮮には旧国籍法(明治三十二年法律第六十六号)の施行はなかつたから、朝鮮人たるの身分の得喪(したがつてその結果としての日本国籍の得喪変更)は条理と慣習(その内容は旧国籍法に準ずる)によつて決せらるべきものであつたのである。

ところで原告等法定代理人本人尋問の結果によると、松岡和子は朝鮮人呉太益と同キヌコの二女として出生したが(和子が呉太益と同キヌコの二女として朝鮮戸籍簿に記載されていたことは当事者間に争がない)、昭和十九年頃から内地人小林達吾と内縁関係にあつて昭和二十年十一月十八日原告克己を昭和二十三年七月十日原告達郎をそれぞれ出生したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。右事実によると原告等の母は原告等の出生当時朝鮮人であり、原告等はその婚姻外の子であつて、その父親である内地人小林達吾との間には出生当時法律上父子関係を生じたと認めるに足る証拠はないから、原告等はその出生当時朝鮮人たる身分を取得し(その結果として日本国籍を取得したのであるが)、母の本籍たる朝鮮戸籍に入籍すべきであつたといわなければならない。もつとも原告等はともに出生当時、内地人松岡米七、同ハルヱの子として届出がなされ内地戸籍に記載されたことは当事者間に争がないが、戸籍簿の記載は真実の身分関係の変動を反映しこれを公証する機能を営むものにすぎず、実体的な身分変動がない限り戸籍簿に記載されたからといつてそれによつて身分関係が創設されるわけではないのであつて、朝鮮在籍者と内地在籍者との区別は単なる形式的な戸籍上の記載だけの区別ではなく、種族的な実質的な身分上の区別を基礎とするものであるから、朝鮮籍にあるべき者が、内地人たる身分を取得しないにもかかわらず誤つて内地戸籍簿に記載されたからといつて内地人たる身分を取得するいわれはないのである。

そして原告等はその後内地人たる身分を取得すべき身分行為をなしていると認めるに足りる証拠はないから講和条納発効当時朝鮮籍にあるべき者であつたといわなければならない。もつとも原告等は昭和二十三年十二月二日松岡和子(同年十月二十日松岡米七、同ハルヱとの養子縁組により内地在籍者となつていたことは当事者間に争がない)との間に養子縁組をなしその旨届出がなされたことは当事者間に争がないが、右縁組は昭和三十二年二月二十三日東京家庭裁判所において養子緑組無効の裁判が確定しているから、当初から無効であつたというべきであり、右緑組によつては内地人たる身分を取得しなかつたといわなければならない。

ところで講和条約の発効により朝鮮人たる身分を有する者(朝鮮籍にある者又は朝鮮籍にあるべき者)は日本の国籍を喪失すると解するのが相当であるから原告等は講和条納発効とともに日本国籍を喪失したものといわなければならない。

よつてその後原告等が日本国籍を取得したことにつき何ら主張立証のない本件においては原告等は日本国籍を有しないといわなければならない。

したがつて原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 地京武人 越山安久)

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